新大久保駅前

 新大久保駅。国電が足を止め私鉄が素通りすると言う、珍しい駅(国電言うても山手線以外は素通りだし、西武かて西武新宿駅からの距離を考えれば素通りしない方が不自然ではある)。さてここは百人町仲通り、古くから栄えている通り。写真に写るは大字大久保百人町字仲通、私の立つ場所は字仲通北側。遠い昔の地名に思いを馳せる。活気が戻り、どこかの異国の言葉も時折聴こえてくる。
 「大久保」は、大久保駅の東側にある新大久保駅の、その更に東側、つまりこのガードをくぐった先にある。大字東大久保、大字西大久保とあり、それぞれ淀橋区東大久保、淀橋区西大久保となり、住居表示までその名が続いた。(大久保百人町は単に百人町となった)
 この辺りの裏は碁盤の目状に綺麗に道が整っている。何年か前、この東西大久保の路地を普く探し回った。結果、東大久保が4軒、西大久保が5軒ほど見つかった。あの時は随分楽しかった。なにしろ、町名消滅が1980年頃と遅めの時期なので、探せば打ち出の小鎚のように次々見つかる。しかし豊多摩郡大久保町の標札を見つけることはならなかった。これはさすがにないだろう。なにせ、この辺りの入れる道は普く入ったからな。
 改めて探せばあったりするのかな。だけど東京区部なんてもうどこも誰かしら探しに行ってるだろう。それであったなんて聞いたことないから、まあないだろう。あるとしたらやはり寺か、しかしこの辺りは元々町だから、ひょいと塀垣にあったりしないか。いやでもこの辺りは焼けてしまったろうから無いだろうか。いやいや、門柱標札は陶製なら焼け残ろうか。
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