性別に関する私見
大体私に言わせれば、性別なんてのはお手洗いに行くときとお風呂に入るとき以外に特段意識するものじゃないんですよ。それは良くも悪くも私が私だからの結論かも知れないが、文が冗長になる話はともかく。
これは間が悪かったかな。このタイミングでこれを語ると、やんわりとした誤解を生みそうだ(^^;。←
たまには顔文字でも使って、表情や声色が伝わる文章にしようとしてみるが、それはともかく。
そっち(「そっち」がどっちなのか分かる人はこの世に一人くらいしか居ないだろうが)と言うよりか、いま読んでる書物から受けた刺激に対する感想であり、それらに関係なく元からやんわり思っていたことでもあるんだけど。何か難しい文章だな。要は何となく思っていたことを書き連ねてるだけなんだけど。
結論を頭に持ってくると筆乗りが悪いな(笑)。何を語ればいいんだろう?私なんて、人を見るときは話すことくらいしか頭にないですから、性別が違うか同じかと言うのは、同じ町から来たか違う町から来たか、左利きか右利きかみたいなもので、適宜同じだったり違ったりする一要素に過ぎないと思うんだな。
だから、どうも性別で人が二分できるみたいな考えには違和感を感じますね。私からしたら、どっちにしろ人であることには変わりがないじゃないかと言う。
実際は性別が違えば体の機能が一部異なる訳だから、性別は利き腕や住んでる町とは少し異なる属性の要素、等閑視し難い一面を持ってるのは間違いありませんが。
いや寧ろ、等閑視し難い側面の具体例が手洗いや風呂であって…他にもあるかも知れませんが、概ねは必要が無ければ別に特段意識するようなことでも無いだろうと言うことを、私はこっそり?思っている、そんなんで過ごしていると。
文中に入れようと思った話があった気がするな…何だろう。思い出せない。まあ、思い出したら書き加えれば良いか。元々それを書くために記述を始めたはずなのに、すっかり忘れて、阿呆だね。
2025/5/30 気付けば明日で5月終わるね。