郡(行政区画)とは |
---|
詳しいことはウィキペディア見た方が早いんじゃないですか。と思たんですけど、ウィキペディアってちょっと説明が迂遠なんですよね。じゃあ辞書でも引けばとも思いつつ、軽く説明します。語源とか変遷とかは興味があればウィキペディアでも見れば良いんじゃないですかね。ここでは、現在まで続く近代以降の行政区画としての「郡」と言うシステムについて簡単に解説します。要は町や村に付くもの市区町村くらいはさすがに知ってますよね。市と区と町と村ですね。「区」はちょっと面倒なんでおいとくとして、市は単体で市なのですが、町と村は郡に属します。郡と言うのは要は町や村の上に付くものです。市には付きません。市になると郡から外れるシステムです。郡に実態はあるのかありません。昔は郡役所があったり、郡長が居たり、郡会があったりもしましたが、現在の郡は専ら名称の上での存在で、行政区画としての実態はありません。ただし、郡と言うのは基本的に歴史的につながりがある地域の寄り合いですから、郡単位で行事が行われたりすることはあるんじゃないですかね。かんたんな背景説明このサイトでは「近代」を市制・町村制の施行からと定義しています。この施行日が各府県で異なるのですが、大体1889年で香川県だけ1890年です(北海道と沖縄県のことはともかく)。市になると郡から抜けてしまいますが、最初は市と言うのはごく一部の市街地にしか与えられていなかったので、それでよかったのです。(「最初」の段階で市だったのは全国でざっくり40程度です。たったの40程度しか、市ではなかったのです。)調べてください。もともと「市」と言うのは、限られた市街地にしか与えられなかったのです。「ざっくり40」と言うのは、大体37くらいなので、富山県のように最初から市を二つ持ちしていた県もありましたし、千葉県や埼玉県に至っては、1920年代まで市が一つもありませんでした。町や村が郡に属する意義何度も言うように、もともとはこの国の大半が町か村、大体村だったわけです。村と町の名前は、対外的には郡とセットである必要があります。地名と言うのは、人の名前と一緒で、たまにダブりますよね。市はともかく、村の名前と言うのは割とダブります。東京で言えば、「調布村」が全く異なる場所に2つありました。しかし、片方の調布村は荏原郡、もう片方は西多摩郡なので、「荏原郡調布村」、「西多摩郡調布村」と、郡名とセットにすることで混同を回避できますちなみに現在の調布市は北多摩郡調布町で、「調布村」であったことはありません。もっと極端な例では、群馬県には「東村」が5つ存在しました。しかしながら全て別の郡なので、大丈夫な訳ですね。たまに郡名が被ることもあります(愛知郡とか)けど、その場合こんどは都道府県が異なるから大丈夫。ちなみに市の名前の重複は県内・県外を問わず慣例的に認められていません。沖縄県宮古島市は先に宮城県宮古市があったので、宮古島市になったらしいです。千代田区平河町みたいに、近い別々の場所に同じ名前の土地があったりもしますが、同じ郡の中に同じ名前の村ができることは、村制の時に話し合いとかで避けられたんじゃないですかね。しらんけど。ちなみに同じ郡の中に同じ名前の村と町があった事例はあります。北豊島郡には巣鴨村と巣鴨町が同時に存在しました。 ちなみにここでの「郡」とは、近代以降の行政区画としての「郡」のことで、郡自体はそれ以前からありました。寧ろ、近代の郡と言うのが、郡区町村編制法の時に適宜切り分けたり、その後にまたくっつけたりして出来てますからね。 沖縄県の方へ島嶼町村制…詳しくないんですよね。知識が足りなくてごめんなさい。そのうち調べます…北海道の方へ北海道町村制、わかんないんですよね。釧路市と釧路郡釧路町が別で存在する理由辺りで少しだけかじったんですが…ちなみに全国で唯一郡に属さない町村が、東京島嶼部です。それ以外の町村は皆郡に属しています。北方領土の町村ももちろんです。出典ありません。記憶をウィキペディアで確かめながら適当に作りました。あなたが読んでいるのは、それだけ適当な文章です。興味があれば調べましょう。興味がなければ、恥ずかしいのでこのページに書いてあることを鵜呑みにするのはやめてください。調べて |
2025/1/19 |