六郷散策録
 前に友人の口から「大田区」と言う語が出てきて~みたいな話をした覚えがあるのだが、とうとう我慢できなくなった。故に国電に乗って蒲田まで行った。
 蒲田区の標札が残っていると言う場所について、凡その見当はついていたので、まあ蒲田で降りて歩くかあ、みたいな。自分でもどこまでが蒲田町でどこから六郷町かわかんないけど、まあたまにはよく分からないまま散歩してみようかと思った。とりあえず蒲田駅から件の物件の手前までを記事にしてみます。

 友人の口から出た「大田区」がどのような文脈だったかはプライバシー的な観点から伏せておきます(ほんとは忘れた)が、大田区の文脈はおさらいしましょう。
 大田区は、1947年に大森区と蒲田区が併合して成立しました。大森区の「大」と蒲田区の「田」とで大田区です。故に、これを覚えれば二度と大田区を太い田にしてしまうことはなくなります。皆さん覚えましょう。
 ちなみに、この両区の成立は1932年です。従って、15年しか存在しなかった訳ですね。しかも戦争もありましたから、まあ簡単には見つからないですね。ちなみに、東京の区にはこの15年間だけ存在した区があと5区あります。全部言えるかな?私は言えません。いや、もしかしたら言えるかもしれないけど、答え合わせをする人が居ないね。空しいだけだからやめよう。

 とりあえず蒲田駅です。発車メロディがホエールズ加藤の応援歌(の原曲)ですね。スーパーカートリオと言えば屋舗要さんは鉄道ファンらしいですが、何か関係があるのでしょうか。
 駅を出ましょう。なにやら工事をしていますね。

 出口を間違えていました。地下道で反対側に向かいます。

 まずは東急蒲田駅。注目したいのが、道路を超す部分の名称。

「御園第一架道橋」とあります。「御園」は元は蒲田町の大字(だと思う)で、最終的には「大田区御園」となり、住居表示で新蒲田とか何とか蒲田とかになり消滅しました。と言うのは行政地名としての話で、付近を見て回ると結構使われている様子ではあります。この辺りの写真は特にないです。皆さんも蒲田に行って確かめましょう。

 このまま東急をくぐって線路沿いを行きます(ついでに環八もくぐる)。場所の見当がついているので気は楽ですね。あとは肉体との勝負ですが、通行量は多いので、ぶっ倒れても誰かしらが助けてくれそうな感じではあります。

 しばらく行くと電車の車庫があります。「蒲田電車区」と言うそうで、なるほど京浜東北線の一定数が蒲田止まりなのはそう言うことなんですね。ちなみに南浦和止まりが一定数あるのも、そこに「浦和電車区」があるからだそうです。へえ。浦和も歩きたいですね。

 ちなみに、車庫を渡る踏切の名前は「御園踏切」です。最近は踏切自体が数を減らしつつありますが、とんでもない時代の地名が残っている場合もあるので、踏切名はチェックしておきましょう。

 すぐそこに電車が止まっています。出庫前の電車でしょうか?スリルのある絵面ですね。(遮断桿に注目)

 車庫に併設されているトレーニングセンターです。かわいいミニチュアの電車がありますね。この前Twitterでバズってましたね。原稿を書きながらビビり散らしました。

 さらに線路沿いを歩きます。線路を隔てるフェンスの所々に、線路を点検する人が出入りすると思しき門があります。こうした付帯設備の名称も見逃せません。

 「町谷歩道橋門扉」。誤字か表記ゆれか分かりかねますが、とうとう目的地・町屋町(←六郷町大字町屋←町屋村)の名が現れました。これはテンションあがりますねえ。

 さて、線路沿いは宅地が続きます。平地なので、歩道橋の上に立てば遠くが見えたでしょうか。

 使われなくなった信号機が拗ねてそっぽを向いています。かわいい。

 道幅が広がった所には自動車教習所があります。その前にも門はあり、名前は「蒲田自動車教習所前門扉」。



線路際のフェンスではつる植物が花を咲かせています。

 この近くに「タイヤ公園」と言う大変有名な公園があります。街角の随所に、この公園への方角を示す看板が立っていました。管理人も大昔行った覚えがあります。確か京急からで、駅は工事をしていた憶えがありますね…。まさかこんな形でこの町をまた訪れるとは。あの頃はこんな目で町をみていなかったですね。すっかり屈折してしまって、私は悲しいです。

 さて、だいぶワープして、こちらが件の標札です。よくみると「町屋町」の文字には削られたような跡が。「町屋町」は1937年の町名整理で仲六郷・西六郷になったので。その時消して上書きしたのでしょう。もう90年近く前に、5年間だけ存在した幻の町名。街角には浪漫がありますね。町屋町のように、5年で消滅した町名が近隣にもう何個かありますが、現存例は…あったらいいな。多分ないと思うけど。
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