令和7年1月19日  別に自分の思想を人には強いないよ。だけど、思う所があれば、それは言わせてもらう。それだけのことですよ。  自分の考え、思想と言うのは厳然と存在している。それはもう厳然と存在している。けれども、それをそのまま発信したくは無いのです。偏ったことを言うのは簡単です。が、それは何か私の美学にはそぐわない。刷り込みのようなことを皆様に為すのは嫌なのです。なるべくフラットな情報発信をしてゆきたい。事実と思想を明確に峻別した上で記し、読み手の皆様に判断を委ねる。そう言う形の文章を書いてゆければ。 令和7年1月10日   文才の無さを身に沁みて思い知る。頭の中に浮かぶ関連性のある複数の事柄を一つ一つ言葉で繋げていく作業が絶望的に不得手だと思った。   拘りと技能の乖離を痛感してめっちゃ鬱!   令和7年1月9日   敢えて名指しはしませんが、この趣味から離れている間に、偉大なる先達が本を出されたようです。私は興味が無いので今のところ読む気はありませんが、帯にコメントを寄せているエッセイストの方の「やってることが抜群に怪しいぞ」と言う言葉は大変に胸に突き刺さります。この方は特に他意なく言われているのではないかと思いますが、これは一番入れ込んでいた時から頭の片隅にはあったことで、もっと言えば実際に危ない目に遭いかかった事もあります。   まず、この趣味(旧町名探し)に興じている方は、おそらく誰しもが一度はそういう目に遭ったことがあるはずです。我々はそれだけぱっと見は抜群に怪しいことをしているのです。   いま、こうしてホームページを立ち上げて、あわよくばまた散歩に出かけようと言う私、ひいては旧町名探し、路上観察と言った文化的活動の周りを取り巻いてるのは、「闇バイト」と言う重大な社会問題です。こうした概念がまだそれほど世に浸透していなかった時期でさえ、ごくたまにとは言え、実際に危ない目に遭ったこともあるわけですから、「闇バイト」と言う本当にまずい事が頻りに発生している情勢下で、もともと理解して頂くのに苦労するこの趣味活動が、これからより深刻に、脅かされる日が来てもおかしくはないと思います。これは私の思い込みに過ぎないかも知れませんが、明らかにカメラを向けづらくなったとは感じています。   私自身は、そうした疑い(具体的には闇バイトの下見ではないか的な)を掛けられたときに、ある程度の反論は出来るようにしています。しかし、それを相手が理解してくれるとは限らない。直接接触なく晒されでもしたら、もう我々は為す術がない。いま、私は色々な危機感を抱いています。どうしようもない危機感です。   少なくとも、「名前隠して地番隠さず」と言った投稿の仕方は如何なものかと思ってはいます。おそらくこのページはだれも見ていないと思いますが、私のページにも地番公開掲載があるじゃないかと言う指摘への反論はまた後日したいと思います。    令和6年1月7日   数年前から構想していた路上観察系WEBサイトをついに開設することができた。改めて調べてみると、とっておきの見つけ物を数年間寝かせていた結果として、他の人たちがそれらを発見してしまった事例が多くて何となくかなしい。  とりあえずは見た感じまだ誰も見つけてなさそうなものから順に掲載していこうと考えている。  一時期は地図を見ては街へ出、また地図を見ては街へ出る毎日だった。今思えば中々に狂っている。しかしそこで得たものは私の人格に大きな影響を与えた。あの日々はかけがえのない経験だった。  地名について、色々な考えや思いはある。それは自分の中で感覚としてははっきり捉えられているが、まだ他人に伝えられるほど洗練されてはいない。  正直、「あれは私が最初に見つけたんだけどなあ」と言う思いはある。だけどそれは厳密に証明しようがないし、そこで意地を張るほど醜いことはない。全ては出遅れた私の責任だ。いま、何となく不安や焦りのような気持ちを感じている。  どうも上手く文章が書けない。書き物は苦手だ。同じような話を、きっとまたするかもしれない。今日はもう寝よう。便宜的に7日にした。明日と言う今日は、今日という昨日よりも少しは楽になってるといいな。