トップページを更新 |
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ついにトップページのリニューアルを敢行した。かなり良くなった、随分な出来だと思う反面、スマホで見ると右スカになる点が問題。リンク集の幅がページの幅を超えてしまっているようだ。更新初日にして早くも並列構成の限界を垣間見ている。リンク集のバナーにコメントを添える方式を改めるつもりはないので、幅狭の画面で見た場合にはテキストが画像に回り込むような解決策を考えてはいるが、実行する手立てを思い浮かべられずにいる。今日はさすがにここまでだろう。 新しいページを作るにあたって古いメモが随分と役立った。昔は随分と考えが回ったものだと感心する。あんな鳥かごの鳥みたいな身で…いや、寧ろ、だからこそ一つのことに思考力の全てをぶつけられたのかもしれない。今は自由であると痛感する反面、自由に伴う責任の大きさに当惑している。当座の生活をはじめ、様々なことに気を取られて心身が疲弊している。もはや生活と呼べるかすら怪しい日々。生きていると言うより、ただ命が続いている状態。 |
2025/3/16 |
ぼやき |
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ついに三月を迎えてしまった。もう年度末である。虚無のまま三月を迎えてしまった。 全てが虚無である。今日この日、この時を迎えるまでの過去は、全て虚無なのである。ことしもまた、虚のままに年度を終えてしまうのか。 もはや絶望などない。固より絶望の中にあるのだから、今更新規の絶望と言うのは存在しないのである。希望へ続く登山道の存在だけは知りつつも、私は登る能わである。あるいは、希望への道は、私には開かれていないか、あるいは私はそこへの入場券を持っていない。 ともかく、年度末まで一カ月を残しながら、今年もまた虚無を覆せないまま年を終えることが濃厚なのである。 さて、それはともかく、ページが味気ないような気がした。他の(ネオシティーズの)皆様のような洒落っ気のある画面構成にしたい。それは他から刺激を受けることで齎される向上心のような感情でもありつつ、もう一つ。私は0からこのサイトを作り上げたので、サイトや各ページの構成は当然熟知しているが、他の人から見ると何とも間延びしていて見辛いのではないか、とも思った。 このページで何がしたいのかは分からないし、そもそも何かを目的として明確に据えること自体が野暮であるように思う。別にやりたいようにやればいいまでなんだけど、一方では他所から刺激を受けて盛り上がる心もある。毎日が虚無であるので、ゆっくり考え、ゆっくり進んでいけばよい。少なくともこれ以上退くことはない程度には、現実は閉塞感に包まれている。 上記の文章を読んだ上で、以下の問に答えなさい。 問 鍵括弧内の文章は本文中に入れそびれてしまった一文である。この文章を挿入するのに最も適切な箇所を本文中から探し、直前の10文字を書き抜きなさい。なお、句読点や記号は一文字として数えるものとする。 「もう少しスタイリッシュな感じにしたい。」 |
2025/3/1 |
陥穽 |
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このサイトを始めた理由の一つに、自己との対話を図ろうと言うのがあったのだけれど、それ以上に人に見せる・見られると言う所を意識し過ぎて全体がぎこちなくなっている感じがする。義務でやっているのではないし、良い文章を書かなければならない圧力も当然ないのだから、気負わずに、もっと肩の力を抜いてやるべきだ。 設計図のないままに形式ばっているようなぎこちなさがある。この段階でまとまりを意識するのは、ぎこちなさを産むのみである。そんな気がした。 |
2025/2/19 |
出かけた方が早い |
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いま、記事を構想しています。ある事柄についてまとめようとしています。手許には撮り溜めた大量の写真があります。その中から資料として使えそうなものをピックアップしようとしている訳ですね。キャプションなんてありません。時期別に区切られたファイルの中から、特定の事柄に関する写真を探している。キャプションがないどころか。何なら記憶もない。 一番厄介なのは、その記憶があったりなかったりすることです。つまり、「憶えがある」ものを、「写真に撮ったか分からない」のです。目に入ったものは一通り撮ったとは思いますが、たまに記憶はあるが写真がない、なんてことがある。旧町名のページに掲載している神田区亀住町がそうです。「神田区亀住町を見た」と言う記憶だけがあって、同じ日にした気がすることを頼りに時期を推定して写真を探したのですが、これが見つからない。仕方がないのでもう一度探しに行きました。 まとめようとしている事柄について、「見つけた記憶」はある。だけど、撮った確証がない。最初からないものを探しているんならさっさと寝るべきです。 なんてったって今日は祝日ですから。連日の冬晴れ、天気予報は見ていませんが今日も晴れるでしょ。ならデータを探すより、リアルシティーを探した方が早いのでは? |
2025/2/11 |
英語 |
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困ったことに英語が分からない。別にリアルシティーズで生きてるうちは英語が分からなくてもラテン文字が分かればなんとかなるけど、ここではそうはいかない。管理人(一人称)はジオシティーズから流れ流れて、と言う文脈があってネオシティーズに居るわけだけど、ネオシティーズ自体は英語のサイトであって、意外と日本語話者(あるいは日本語でサイトを作っている人)が居ない。これ、個人的にかなり意外で、ネオシティーズ自体がアメリカ版ジオシティーズの受け皿的存在として誕生したのだから、日本版ジオシティーズの人々もこっちに来ると思ったんだけど。みんなどこいったのか知らないけど、日本版ジオシティーズがあれだけ栄えてた割には、ここにはあんまり日本語でやる人が居ないんだね。まあ、「JAPANESE」タグを軽く見た上での所感だから、ガッツリ主観だけどね。 それで、前回の雑記に書いたように、実はジオシティーズ自体から憧れていた「街」システムに接しているのに、大半の街が理解できない言語で書かれているのは何だかさみしい。そう考えると英語、ちょっとは出来た方がいいよねえ。日本語はパッと見て頭に入って来るし、中国語も極めて大雑把になら見てわかるんだけど、英語はそれができないんだよね。英語自体も殆どできないし、辛うじて理解できる文章だったとしても、ぱっと見れないんだよね。だから、(英語の文章の)文意を掴むの苦手なのよね。 |
2025/1/19 |
雑記帳を作る |
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暇だったので色々なサイトを覗いた。大半が英語で記述されているので内容はよく分からないが、BlogとかDiaryとか称して記事の堆積するページを設けている例がちらほら見られたので私も雑記帳を作ることにした。大記事にしかねる浅い内容はここに記して行こう。 しかしこの、他所の街を覗く感じが良い。旧ジオシティーズを想起させる。管理人はジオシティーズ出身ではあるが、さすがに旧ジオシティーズは経験していないので、(ジオシティーズがあった頃から)憧れがあった。 旧ジオシティーズでは「コミュニティ」と言う町があって、その中で個々のサイトに地番が与えられていると言う、まさにシティーズそのものだった。それに対してネオシティーズはどうだろう。地番こそなけれ、タグごとにページが並ぶさまはまさに街並みそのものではないか。この景色はWayback Machineでしか見たことが無い往年のジオシティーズに極めて近似している。 旧ジオ当時と現在とではインターネットの在り方が大きく異なる。それを踏まえた上で、敢えて現在的なSNSなどとは距離を置き、旧態のインターネット運用を図らんと欲する。 このページはまさに、「日記」に相当する。そのうちゲストブックのようなものも設置したい。 |
2025/1/15 |