雑記


事実上の日記です。 このページは随時更新
雑記カレンダーはこちら
苦闘
 書きたいことは星の数ほどあった。広陵高校の暴力問題、岐阜商業・横山の天才的な野球センス、沖縄勢久々の優勝。そして何よりも、ネオシDiscordサーバーの設立。
 いつからだろう、筆の乗りが極端に鈍り、気付けば甲子園は終わり、今年から時期が変わった都市対抗が幕を開けていた。スワローズは村上が驚異的なペースでホームランを量産しているが、最近はスワローズの試合もほとんど追えていない。
 事実として、調子が優れない。それは無気力であり、時としてガチの体調不良である。それが心因であることは、医学的見地に基づく事実かはともかく、私自身の感覚では確からしいこと。
 たくさんのことを記したかった。たくさんのことを伝えたかった。しかし言葉は降りてこなかった。8月は今日で終わる。
2025/8/31


マウスの調子が悪い
 困ったことにマウスの調子が悪い。ホイールが空転したり、一瞬逆転(回している向きと逆に入る)したりする。発症はここ数日だろうか。最近はそこまでパソコンを使わないので分からないが、HTML DAY(8/2)の時にはなかったと思う。いつからこうなったかよくは覚えていないが、「そういう症状があるなあ」と意識し始めたのが昨日なので、割に最近ではないか。
 非常に困る。マウスは神経の通った身体の一部だと思っているので、こうした不伝達や誤伝達があると、実は割に繊細な感覚なので、気になって仕方がない。こいつを買ったのは去年だったと思う。息を吹き込んだり分解して掃除したりしてみたが治らない。もう寿命だろうか。今使っている機種に肉体がアジャストしてしまっているので、別のモデルと言うのは考え難い。が、それなりの値段なのでこの微妙な故障ともつかない不具合のような微細な事象を以て買い替えを決意するほどでもない。
 さあ、困った困った。このまま使い続けるのはストレスだが、想定外に付き買い替え予算を組んでいない。買い替えたとしてどうしよう。まだまだ使えるしもうすこし鈍感な人に譲ろうか。
2025/8/16


80年
 別に私は平和を訴えたい活動家でも歴史研究家でもないから、8月15日と言う日に何かを言うつもりはないのだが、旧町名探しと言う行為は扱っている対象が歴史であるからして、時と場合と場所によっては戦争につながる部分が無きにしもあらざることを考えると、節目の年である今年は一言は触れたほうが良いと思った。
 そもそも歴史について私の興味の赴くところは市区町村、その中の各町名、そこに関わるかつての生活の様子などと言う微視的側面であり、国家などと言う巨視的な概念は未だによく理解出来ていないのだが、どうも我が国に於いては戦争という歴史があり、それは歴史の中で大きな重みを持っていることらしい 。
 而れども私は戦争を知らない世代であり、知る世代から軽く話を聞いたことこそあれども、私自身が自分の見聞した事柄以外をあまり想像できない想像力に著しく欠けた性分であることもあって、先の戦争についてあたかも知ったかのように語ることは憚られる。
 例えば東京では大きな空襲があった。旧町名、殊に戦中戦前のもの、具体的に言えば35区の消滅区などを探すに当たっては、やはり罹災状況が一つの参考になったりする。日頃は罹災状況を散策のための情報として扱っているが、考えれば当然その裏には失われた命もあるわけで。
 そうした戦争の質感というのは、少なくとも情勢的には平和の中でぬくぬくと生きてきた私には想起し難い。しかし、街を見れば、豊多摩のある町には焼夷弾を食らったのではないかと噂される焦げ目のついた標札があり、横浜には空襲で営業ができなくなった駅の残骸が今も残っている
 平和の尊さは、私が比較的やりたい放題散策できている事実から、逆説的に実感できるのかもしれない。今は新しい戦前だろうか?日本が戦争を引き起こすと言うより、日本が戦争に巻き込まれる可能性を私は危惧している。
2025/8/15


意欲と無気力
 別にHTML DAYに行ったからではないが、このところ色々なアイデアが頭に湧き上がってきている。そしてそのアイデアを実現せんとする意欲もある。しかしながら、あまりに肥大化したindexを前にすると無気力になってしまう。どうやら私は、入り口に欠陥があるとその先の部屋を作るよりも先ず入り口をなんとかするべきだと、と言う思考を取ってしまうらしい。
 従って発想と意欲は湧いてくるのに、いざネオシを開くと途端に無気力になってしまう。しかしネオシを閉じるとまた意欲が漲るという、とても面倒な状態になっている。
 さて、HTML DAYのことはまた稿を改めて述べようと思うが、センスのあるヤツには勝てない、技術のあるヤツには勝てない、英語のできるヤツには勝てない…と言うような思いを心の底から思い知らされた3時間だった。私は早々に、持参の飲料を頻りに呑んでは手洗いと和室を往還する喝水排尿マシンと化していた。最後の作品紹介でひと笑い取れたことで辛うじて生きて帰れることができたと確信している。
 こう言う書き方をするとあたかも酷いイベントであったかのようだが、実態は寧ろ極めてよろしいイベントであった。これはここ数日方々で口にしていることだが、私はこのようなイベントを通じてNeocities日本語界隈がもう少し盛り上がることを庶幾している。
2025/8/4


布石
 写真コーナーを新装した。地名コーナーのindexの形式を流用することにしたが、思いの外ハマっていると思う。一昨日書いたように案が浮かばない日々を過ごしているのだが、これは大分前どこかに書いたような気がする「短い随想コーナーと写真コーナーを統合・再編する」と言う構想への布石である。
 個人サイトと言うのは自分のプラットフォームなんだから、必ずしも利便を指向する必要はない。作るだけ作ってすぐ投げ出したコーナーが大量にあってもよかろうが、ある程度読み手——このサイトを読みに来るような人間が居るかは謎だが——に配慮する必要を感じた。
 やっぱり折角来てくれたんだからさ、回線の向こう側にお茶を出すことはできないけど、まあ多少はさ、もてなしの精神を持っていたほうが良いかなって思うのさ。早い話ね。
 あと、雑記の背景色を変えてみた。伝統の(?)#a0564dから、夏らしい露草の色に。また戻すかも知れない。
2025/8/1


2025年7月7月の記事は12本。さらに暑くなり、さらに記事が増えました。「北足立進出?」に関してはコメントを頂戴するなど、雑記内外でネオシ的には劇的な一月でした。
苦悶
  最近、目に見えて更新頻度が鈍っている。前はこう、更新ポストがいっぱいになる位の編集を毎日のように繰り返していた気がするんだが、最近は日に1~2ページしか触ってない。それも大抵はこの雑記の更新であり、それに付随するカレンダーの更新であって、それ以外では専らトップページなどの細かい手入れで、新たにページを作ったり、大規模なページの更新をすることが殆どない。
 別にサイト作りに飽きた訳では無い。寧ろ構想はある程度頭にあるんだけど、どうも意欲がわかない。パソコンを前にすると何故か気が失せてしまう。何故だろう。
 また、何もしていないこともないのだが、どうも記事にするまでに辿り着かない。文章にしろhtmlの構成にしろ、サイトに関わる新しいことが殆ど浮かんでこない。外に出る、どっか行くなんてことは容易くできるし実際にしているんだけど、何かサイトに落とし込めない。この文章は下書きなしで書きなぐっているんだけど、さっきから同じことを言い方をかえて繰り返しているだけな気がしてきた。なんかうまく行かないよね。どうしようかね。誰か手伝ってくれへんか?
追記:雑記カレンダーを編集してて思ったけど水曜の雑記投稿は4/9以来3か月半位ぶりなんだね。
2025/7/30


読書中毒?②
 最近は本を3〜4冊くらい手許に置いてとっかえひっかえ読んでいる。枕元に2冊、居間に2冊みたいな具合で、プラス適宜あちこちに持ってく本が1冊は常時ある。外出するときも、やはり2冊は鞄に入れてゆく。尤も、最近は暑くて外に出られないね。ここら辺は、広々としたNeocitiesの中でも、日本在住の方なら、おそらくどの地方の人でも共有できることだと思う。
 海外からこの文章を読んでる人が居るかも知れないので付記しておくと、今年の日本の夏はとんでもなく暑い。毎年暑い事には暑いが、涼しい場所もある。しかし今年に関しては分け隔てなくどこも暑い。
 最近の生活はどうかと言うと、まず朝起きる。最近は夜更かしはしないことにした。朝起きる。偶に寝坊する。起きたらネオシを確認する。有り難いことに最近急に何人かの方からフォローを頂いて、私もそれにフォローを返したから、タイムラインが随分賑わってきた。前は細川さんとおすしさんがたまに更新を上げながらも、基本的にはヤクルトの試合中継を観る私がむなしく喚き散らしてるだけだったから、今はなんだか満たされた感じ。
 最近は携帯を触る時間が結構減ったと思う。それで、パソコンなんかもっと触らなくなった。ぽつぽつアイデアは浮かんでくるけど、サイトの更新はほとんど出来てないよね。で、何をしているかと言えば、表題の通り読書。先に述べたように何冊かを代わる代わる読んでる。ちょっと飽きてきたりすると別の本に変える。本当にやることが他にないんだね。困るのが目が疲れること。目が疲れたら目を休めなきゃいけない。しかしながら、目を休めたらすることがなくて暇になってしまう。困ったもんだ。この人は、他にやることないのかねえ。
 最近はヤクルトの中継も観れてないね。夕方になると眠くなるんだよ。
2025/7/29


青柳がヤクルトに来るかも
 青柳は横浜とヤクルトが獲得検討と言う言説が流れていたが、横浜は橋本を支配下に上げたのでこれで支配下70人。と言うことは横浜の線はなくなり、最早ヤクルトが青柳獲得と言うのが決定的と言えるのではないだろうか。(青柳が日本に復帰するならば)
 これで青柳がヤクルト以外に入ったら面白いのだが、どうだろう。古巣の阪神はおそらく藤浪同様見送りの判断ではないか。そして、青柳晃洋と言う人物がヤクルトに縁深い人物であることを考えると、やはりヤクルトの線が極めて濃厚であるように思う。各紙報道、日刊スポーツは本日付けで「合意決定的」、スポーツニッポンは「週明け交渉」。
 何年か前、青柳見たさに阪神戦を観に行ったことを思い出す。青柳は不器用を体現したようなありさまの選手であったが、その投げ姿は華麗そのものだった。あの青柳がヤクルトに来ると言うのは、当時の時点で遠い予感として抱いていたが、いざそういう可能性が現実味を帯びて来たこの段階に於いては、我が心は感慨と高揚が混ざり合うところにある。
 ところで、この雑記コーナーは公開状態にあるとはいえ、感覚としては事実上ごく私的な日記と言う感覚で書いているのだが、新たにこのコーナーとは別で誰とも知れない人にも読まれることを想定したブログコーナーを設置しようかと考えている。サイトが肥大化するだけな気もするが。
2025/7/26


加藤博一

「加藤博一って、人気者だったんだな」

 加藤博一が没してから悠久の月日が流れ、加藤亡き時代の我々は「加藤は人気者だった」と言うことをぼんやりと認識しながら、その実像は全くもって知らざるところであるよう思う。
 Youtubeに当時のすぽるとの切り抜きが上がっている。高木豊が咽んでいた。「もし自分が死んだら、誰か涙を流して呉れる人はいるだろうか」と私は思った。
 加藤のことは知らないけど、もし死んだら、誰か一人にでもその死を悼んでもらえる人間でありたいな、とは思った。
 加藤博一亡き後、当時を知る人の、人気者だった加藤博一についての記憶が残った。しかし我々はそれを知らない。ただ、不意に加藤博一と言う人がどういう存在だったかを思い知らされるのである。
2025/7/22


 温泉に行きたいと思った。我ながら珍しいことを考えると思った。公衆浴場はあまり好きではないので。
 思い返せば私は一人で公衆浴場に行った経験がまるでない。単に公衆浴場に行ったであれば、友人に誘われて銭湯に行ったり、家族旅行で温泉に行ったりはしたが、自ら単独で行ったことと言えば、数年前の旅行で、たまたま昼間に時間が出来たから宿の近くの温浴施設に行ったくらいのことだろう。
 しかしまた、なぜそんなことを思うのだろう。それは、ぶっちゃけると温泉から始まる短編小説を読んでいるからなのだが、一度考えとして脳内に誕生すると、それがにょきにょきと発展してゆく。
 電車で行ける程度の山辺にあるような所がよい。駅から近すぎるとよくない。一、二粁くらい離れている方がいい。なんてことを考えながら、とりあえず給料日の到来を待つ。何て祝日だ。
 そう言えば今日は海の日なんだが、海はあまり好きではない。山に行って清流が見たい。田舎に住んでる友人の家を想起する。または森の中を流れる小川。大いなる発展。長い年月が森や小川を都市と裏路地へと変化させたと理解している。
2025/7/21


嬉しい
 ここ数日、私のタイムラインが賑わっている。これがとても嬉しい。何となく、満たされる感じ。私のしょうもない呟きだけが虚しく響くのではなく、色々な人の色々な言葉や更新がタイムラインに乗るということ。ここに辿り着いて良かったと、まるで最終回のようなことを思ってしまった。
 本当に、Neocitiesやっててよかったな。特に昨日今日、色んな人の更新やポストが見れて良かった。
 この調子で、色々な方向に輪が広がっていくと良いな。
2025/7/18


北足立進出?
 そろそろサイトをリニューアルするとか何とか言い続けて一向に着手しないのはどうなんだろう。いやそれは、リニューアルしたいという願望だけがあって、案出しがままならないみかんの残念な頭が産んだ悲劇なのかもしれない。
 新たなる相互フォローのJSAnikenさんが、ブログ記事にコメント欄を実装していた。これは良い。改良や向上は、常に他者から影響を受けることを厭わない態度から産まれると思う。
 さて、そのJSさんのブログ記事を読んで気がついたのだが、実は私は埼玉県の旧町名を見付けたことがない。そもそも埼玉県内を散策したことがない。埼玉県内の適当なベッドタウンで市制以前の旧町名を探そうという構想はかねがねよりある。また、さいたま市の合併以前の市名ならば簡単に見つかりそうだ。どこから歩こうか、蒲田の記事を書いたのだから、対極の浦和からにしようか。まずは北足立郡からだなあ。
 出会いは、往々にして新たな発想や構想の源泉であると思う。
 それはともかく、昨日の石川はどやろな。ちょっと降ろすの早かったん違うか?而れども、あのまま投げさせたとて抑えられる気がしなかったのはあるよね。
 何と言うかね、ちょっと、色々覚悟させられるような登板ではあったね。200勝か200敗、どちらか片方だけでも達成してほしいんだけどね。石川にはずっと投げて欲しいけど…
2025/7/13


うどんを食べる夢
 大きな駅を背に構える、背景遠くに聳え立つビル群、夜の街灯り、線路際踏切脇、麻布大八ラーメンのようなあばら家のうどん屋で食事をする夢を見た。
 モデルがどこかは分からない。私の心象風景から構成されたことは容易く想像できるが。
 安い店だった。天ぷらうどんが290円だかそのくらいで、店のおやじは「もう店はやめたんだけどなあ」と言いながら私にうどんを出した。大してうまくもない、冷凍食品のようなうどんだった。
 たばこの匂いはしなかった。時折外を列車がかすめてゆく音が聴こえる。
 うどんを食べ終えた辺りでシーンが変わった。もじゃもじゃと茂る生け垣。その隙間から門柱に据えられた表札がチラ見えした。私は覗き込む。そこに書いてあるのは旧町名だった。私は散歩しながら、表札を無修正のままー名前すら隠すことなくー投稿するTwitterのアカウントに対し激昂していた。
 やがて夢から醒める。今日の先発は石川とデュプランティエ。石川にヒットは出るかしら。時刻は12時を回っていた。しまった、と思ったが、ナイターまでまだ時間がある。少し出掛けようか。そうだ、歯磨き粉を切らしていたはず。
2025/7/12


お中元と内山のホームランと甲子園の雨、及び沼田の支配下登録
 お中元を買いに街へ出たついでにちょろっと旧町名を探しに出たが何も見つからなかった哀しい金曜日。昨日までの暑さはどこへやら、涼気に始終包まれていた。
 知らない町、彷徨う。やがて不意に、一年前に訪ねたことのある街路に出でた。なぜ今日は涼しいのだろう。昨日大雨が降ったからか。この調子でええぞ、と思いながら、平地をゆき、やがて丘を上がり、下がり、また上がり、また下がる。
 お中元だけを収穫に家に帰ったとき、言い得ぬ疲れがあった。まだ何も揃っていない。汗だくの日々、タオルが足りない。どこに行っても見つからない。私がほしいのはもふもふのタオルではなく、雑に使い倒せる長めのタオルなのだが。
 甲子園、ヤクルト阪神11回戦。ツーアウトでランバートのラッキーなタイムリーから一気呵成、打線が繋がり岩田がタイムリーでもう一点、内山に満塁ホームランが出てオスナが外野フライでイニング終了、ここで試合が中断した。
 西宮は雨が降っているようだ。西宮、今津、甲子園。あの辺りも一度歩いたが、まだ何も見つけていない。
 沼田が支配下に昇格した。下川が支配下になったから、成績的に次は沼田だろうと親しい人間に常々言ってきたが、いざとなると一番意外に思えた気がした。
 二軍は3番村上4番橋本という愉快な打線。丸山も復帰したようだ。上がり目のないスワローズ。とにかく駒が足りない。沼田はいつ上がってくるか、先取りしたチケット、夏の予定、楽しみ、寂しさ、気がかりな預金残高。
 …グラウンド整備が始まった。試合は再開するようだ。
2025/7/11


令和7年7月7日
 今日は令和7年7月7日。空はよく見えないが雲が覆っているように見える。星は見えないが月は昼に見た。
 去年の6月6日に何をしていたのかなんて憶えていない。一昨年の5月5日には何かしらのことはしたと思う。
 日付と言うのはほぼ無意識のものなのに、意識してしまうと途端にそればかりに気を取られてしまうから恐ろしい。令和7年7月7日、そういう日があったことを後に残す必要がある。そう言った強迫観念が数日前から日に日に強まったように思う。
 私はとにかく外に出た。くたくたになるまであちこちを巡った。できる限りのことをした。今は、強迫観念は完全に失せて、ただ肉体の疲れだけが残っている。令和7年7月7日を、乗り越えた。
 ぞろ目であること以外にもう一つ。今日は七夕!色々な願いごとがある。短冊に願いをかけるなどした。ここで挙げられることがあるならば、日本語界隈がもうちょい盛り上がりますように。自分のことはまあある程度は自分でなんとかなるけれど、こればっかりは、みかんにはどうしようもない。
2025/7/7


絵文字顔文字を使えるようになりたい
 どうも私は絵文字や顔文字を文章の中に折り込むのが不得手みたいで。自分で自分の書いた文章読んでて、えらい硬いなあと思うことがままある。厳密には、書いた自分はまあどういう口調で書いたか分かるから良いとして、他の人は読んだら硬い印象受けるやろなあと。
  柔らかい文章を書く人ってのは、柔らかい文章を書く卓越した言語センスを持ってる人も居るんだけど、なにより手っ取り早いやり口は絵文字と顔文字を使うことだと思う。
  例えば何か軽い不手際やらミスやらを文面で詫びるとき、汗の絵文字を使える人は柔らかい。私はどうもそれができない。「不徳の致すところでございます」何て送っちゃう。文面のやり取りはほんと、苦手なんだよなあ。
  で、絵文字顔文字を使った文章がなぜ書けないかを考えてみると、それは句読点との兼ね合いだと思うんだよな。文末を句点でしめる癖が骨の髄まで染み付いている。あとは、どういう絵文字顔文字があるのかを知らないってのもあるだろあなあ。諸々総括して、要は、絵文字や顔文字を使いこなすスキルがまるでないわけね。
  だけどやっぱり、文面でのやり取りに表情を持たせるには絵文字顔文字の活用が必須だと思う。だから、使えるようになりたいんだけどなあ。
  ただ、別解としては使ってるキーボードが悪いような気もする。感謝の絵文字とかあると思うんだけど、「かんしゃ」とか「ありがとう」とか打っても何も出てこないんだよね。
2025/7/6


読書中毒?
 もうずっと、読書をしている。最近はずっと、本を読んでいる。けど、ずっと読んでいると疲れが出てくる。そこで本を置いて携帯を手に取るのだが、まるでやることがない。あるとしたらサイトをいじるくらいだが、アイデアが頭にない時には、まるでやることがない。ニュースに目を通して、ネオシティーズのタイムラインを確認し、フォローしてるサイトの更新があれば、それを読む。この二つを終えてしまうと、携帯でやることがなくなってしまう。仕方ないからまた本を読む。そして飽きる。また携帯携帯を取る。やることがない。仕方なくまた本を読む。と言う繰り返し。
 さすがに仕事をしている時に本を読むのは控えるようにしている。サボりと誤解されかねないから。そういう時は携帯を確認しているフリをして、電子書籍を読むのが有効だ。
 「読書中毒?」と言うタイトルを付けたが、実際には読書くらいしかやることがないだけだと思う。暇だなあ。
2025/7/4


2025年6月6月の記事は9本。暑かったので引き篭っていた分、記事が多いのかも?
不死身の日本テレビ③
 色々明らかになって参りました。結局のところ国分太一の事案はどうも自爆というか、本人の行動であって、局側が何かを納めたりはしていなかったようですね。
 一応外部委員会を設置するみたいですがどうなんでしょうねえ。国分太一はえらい色々やってるみたいですね、現状の報道を全て事実と捉えるなら。
 あ、そういやTOKIO解散しましたね。私、こち亀の曲しか知らないや。巡りくる季節の風を受けて云々のやつ。あれいい曲ですよね。パチソンあるのかな?
2025/6/21


不死身の日本テレビ②
 例の会見から一日が経ちました。私の申し上げた通り、少しずつ仔細が表に出て来始めています。どうもセクハラらしく、女性自身の報道によればえっちな画像を送信したり、逆に要求したりしていたらしいです。また「FLASH」によればストイックさが転じてパワハラ気質だった所もあるようです。
 私はあまり興味がないので国分太一さんのことは詳しく知りませんが、一市民として本件に強い関心があります。フジテレビが大火傷をするのを年初から見てますから、本件もどうなるか見ものです。
 尤も、被害の実態が明らかになれば、もしかすると全く軽口を叩けないようなことになるかも知れません。まあそこは、今後も少しずつ明らかになってゆくことでしょう。突然の出来事ですから、中身のない会見から各種報道で真相が少しずつ明らかになってゆく過程を見守りたいですね。
2025/6/21


不死身の日本テレビ
 国分太一がやらかしたらしい。日本テレビこと、日本テレビ放送網株式会社(東京都港区芝汐留)では臨時の取締役会を開き、国分太一の全番組降板を決定したらしいです。本件について社長が会見していますが、ひどいですね。「コンプライアンス違反」との由ですが、詳細については「プライバシー保護」の一点張りで何も語らない。意図の見えない会見です。
 この会見で世論が納得するとは思えませんし、会見で隠した「違反」の詳細は、情報としてのバリューもある。つまり今ここで事案の仔細をひた隠しにしても、いずれ表に出てくると思うんですが。もしかするとこの社長さんは、ひょっとすると急拵えで出てきていて、何処まで話して良いのか分からず会見をしているのかも知れませんね。
 思えば「セクシー田中さん」事件では第三者委員会を回避し、目立ったスポンサー離れもなく、事案自体ももの一年で見事に風化させてみせた、不死身の日本テレビですが、本件は上手く逃げ切れるでしょうか?非常に見ものです。国分太一がやらかしたらしい。
2025/6/20


武庫川女子大学
 武庫川女子大学が共学化して「武庫川大学」になるらしいです。突然の報せでびっくりしました。上方の事情には明るくないのですが、予兆のようなものはあったのでしょうか?私はこっちに住んでて、武庫川のこと(情報)なんてまるで入って来ないので、大変に驚きました。
 説明しますと武庫川女子大学は日本で最も規模の大きい女子大学です。私もそれしか知らないのですが、そんな大学がいきなり共学化すると言うのだから驚きです。これ前兆なしでいきなり発表してたらえぐいなあ。「大手の女子大だから」って入った人も居るだろうし。
 それで、今は規模大きめの反対運動が起こってるそうです。そらそうなるわな。果たしてどうなるのでしょう?
 武庫川女子大学のことは名前と規模がでかいこと以外全く知らないのでここらへんにしときまして、実は管理人、武庫川の河原は一度歩いたことがあるんですよね。その時の写真が見つかったら写真館にでも載せます。
 ……あ、武庫川ってのは、でかい川です。
2025/6/19


雑記の載せ方
 このページ(雑記)の構成には少し難がある。このページはサイト設立直後からあるページで、爾来背景色の変更程度しか手を加えていない。半年近く気まぐれで書いた記事がそのまま縦に積みあがっていて非常に冗長です。つまりはページの構成を改める必要があると思う訳なんだが、さてどうしよう。
 私が一方的にフォローしているサイトの一つにワビサビishと言うサイトがあります。ここのサイトのblogの載せ方が素晴らしい。カレンダー形式で記事一覧を構成するのは、うちの雑記ページと非常に相性が良い気がする。と言う訳で、まねっこどうぶつでこのページもカレンダーにしてしまおう、と言う訳です。で、今からその作業に入ると。さてどう作ろう?
 考え方として、野坂昭如のホームページみたいに、一定期間ごとに記事を束ねてもいいかも知れない。と言うかまずそうしよう。
 ちなみにblogの記事は一通り拝見したのですが、最近のGoogle翻訳の精度はかなり高いと感心しました。あの手の随筆とは相性が良いみたいで、まるで自然に訳せている(様に出力された日本語文を読んで感じる)。だけど、逆はそうでもないんだろうな。私の日本語は拙いから、綺麗に外語には訳せないだろう。自虐です。文芸教室にでも言った方が良いか?
2025/6/17


夏の入り口は暑い
 今日。目が醒めた時からずっと静心ない。そんな経験が無い訳では無いが、いきなりの事なので面食らってしまった。なぜ?
 今は落ち着いている。少し外に出たほうが良いかと思って適当に歩いた。外は思いのほか暑かった。よく考えれば外を歩いたのは久方ぶりだった。
 やがて何かを忘れたことに気が付いた。それは飲料であった。市場が見えたのでスポーツドリンクを買った。今日は特売日だったので菓子が2つおまけで着いてきた。存外の支出に財布が呻いた。
 夏の入り口は暑い。別にタイトルを本文中で回収しなければならないと意識している訳では無いが、夏の入り口は暑い。
 もう少し何かを書きたかったがもう頭が回らない。意地でもサイトを更新したかった。このページは更新履歴の記載対象にはしていないのだが。
2025/6/16


大田区
 この前友人と話していた際、不意に「大田区」と言う語が出てきて、その刹那、まだ蒲田区の標札は見つけていないことを思い出し、抑えがたいギリギリ抑えられる程度の(どっちだよ)散策衝動が全身を駆け巡った。
 友人としていたのは別の話題だったけども、こうして不意に場所の名前が出ると、そしてそれが私の近傍の土地であると、どうもつい散歩と遥かな歴史の世界へと意識が向きかける…向きかけると言うか、と言うかガッツリ向いてしまう。 大田区は良いねえ、大田区行きたいね、いやぁ、探してえな。まあそれはそうと〜と話を復線したけど、心の内では散策を決意したよね。そのうち行きます。実りの夏にしたい!
2025/6/5


輪②
 ネオ日本語リングに名前が載っていたので、まあいよいよ日本語コーナーでも作らないかんかなと言う感じがする。それはそうと、英語をやった方がいい。
 これは今までは眼中になかった、極めて都合の悪いコトに気が付いてしまったな。国語と社会を少し上乗せして、英語を何とかすれば、もしかしたら諸々の憂鬱、種々の不安を打開できるかも知れない。副次的な効果として、ネオシティーズの色々なページを理解できるようになるかも知れない。人生に希望的な観測を持つのは今の私にはどだい無理だけど、「ワンチャンあり得るんか」ぐらいには思うよねえ。
2025/6/3


 ネオ日本語リングに加盟申請を出した。紹介文を考えるのにかなり時間がかかって、気付けば月がかわっていた。これには自覚してる理由があって、自分のホームページのことは自分で勝手に編集できる=誤字脱字、表現ミス、後から湧いてきた言葉等々を適宜改められるのに対し、今回はこちらから先方に出稿するわけだから、まあ誤字脱字があっても直しては呉れるだろうけど、自分の手で即時修正できない。これは私の弱点で、こう言う書き物に弱い。そう言えば大昔の卒業文集なんかも、修正に修正を重ねて最終稿が仕上がったのは〆日当日か前日だった。そのくせ脱字を何か所か見落としてて虚無だったよね。
 ともかく、ネオ日本語リングにねおたうんが追加されているのを確認したら、日本語のコーナーを作ろうと思う。まあねおたうんは全編日本語で運営されている(2025/6/2現在)けども、記述言語ではなく、日本語自体の話題を扱うコーナーを作ろう、と言う訳だね。まあそれまでに、日本語の勉強をしておこう。文章が迂遠なのは悪いだろう。なんとか改善する。いっそ、口語で書いてみるとかもありだな。
 何事にも契機があるもんだろう。どうだろう、コーナー分けを再編してみた方が良い気がするな。
2025/6/2


2025年5月春と夏が交互に来ることが多かった気がします。記事は6本。
フジテレビは何ならできるのか
 この前NHKのBS中継を観ていたく感動した。臨場感がフジテレビの比じゃない。その上副音声で場内音声が楽しめる。それに比べてフジテレビはどうだ、カメラワークも凡だし、副音声で実況を切ることもできない。そこで疑問に思ったのだが、このテレビ局は、一体何なら出来るんだろう?在京民放の覇者だったのは遠い昔、今や昨今の騒動であの体たらくだし。例の騒動は例の騒動で問題だけど、とりあえず副音声場内音声くらいはCSでも対応しようや。もう嘆息が止まらないよね。フジテレビジョンはスワローズの全主催試合を中継している以外に何が出来るの??カメラワークも凡、場内音声も地上波限定。はあ~
2025/5/29


アメリカ・コンプレックス
 やりたい放題の大統領、余りにも弱すぎるコロラド・ロッキーズ、大谷ニュースの中に垣間見えるガラガラの観客席…こうしたものを見る度に、何か劣等感のような、それでいて厳密にはそうでない何かを感じる。
 それは、アメリカひじき的な、敗戦国としての劣等感ではない、終戦80年を迎えんとして新たに芽生えた感覚であると考察する。つまり、超大国・アメリカ合衆国は、極東の島国とは圧倒的な差があり、故に何もかもが規格外なのである。端的に言えば国力が圧倒的に違うヨと言う、先の敗戦と通底しつつも直接接続しない、新たなコンプレックス・新しい複雑な感情である。
 ガラガラの観客席は東京ドームが失ったファイターズの幻影のようであり、ロッキーズは嘗てのベイスターズや最近のスワローズとは比較にならない規格外を思わせ、大統領の横暴については合衆国の情勢についての知識が足りないのでコメントはできないが、これも日本の総理大臣には取り得ない極端な行いと感じる。とにかく何もかもが極東の島国には大きすぎるーーように、私には思え、それに圧倒されるのが、この私である。
2025/5/29


うれしい言葉
 相互リンクが増えました。それは良いとして、照れってもんが、あるもんだなあ。結構ウキウキするなんて言われたら、こっちもウキウキしちゃう。
 しかしながら、彼はこう、どうしてこんなに素直で屈折のない言葉を紡げるのでしょう。羨ましさが故か読んでいてなんとなく身悶えしてしまいます。ウキウキの感覚と言うのは、悶えの感覚に似ている気がします。
 まあしかし、「見ること自体が楽しい」なんて言われると、もう嬉しくて転げまわっちゃいますよね!
 私は割と喋る方ではあるので、いつかちょきさんとも喋ってみたいですね。そのうちオファーを出そう。日本の七月は嫌に暑いから、心して来て下さいね(直接言え)。
2025/5/11


振替休日
 連休最終日、振替休日。前に言ったような言わなかったような、振替休日は日本の祝日の中で一番好きな祝日。しかも法的には祝日ではなく「休日」。(祝日法第3条2項)その上さらに、今日は「振替の振替」で火曜の振替休日。今日は扱いはどうなっているのだろう?祝日に国旗を掲げる人は今日も掲げるのだろうか?後で交番やバスを確認しに行こう。今日の関東は雨模様。きっと外では草木が濡れて輝いているはずだ。外に出よう。うん、外に。出よう。今から。祝日の様で祝日でない、何を祝うでもないながらも特別な日、愛すべき振替休日!
2025/5/6


装飾
  このサイトを作り始めてまもなく4箇月、年間の4分の1程度になる訳で。久々にサイトを作るもんだから、この4箇月で何回も大規模改修をしたりして、色々試行錯誤しているのだけれど、見辛さは幾許か改善された(と思いたい)が、何度作り直しても何か足りない。それは何だろうと言うことに気が付いた。装飾が足りない。装飾らしい装飾はところどころHRタグで区切りがしてあるのみで、後は背景色と文字色の緩急、フォントの差異、ウェイトの相違のみで、ただひたすらにコンテンツが羅列されているのみである。
 例えば、私の相互フォローの人々の所を覗けば、おすしさんの所はすっきり纏めた上でお寿司が流れているし、細川さんの所はページのレイアウトや色遣いが全体で統一されていて、かつ所々にイラストが入っているし、ちょきさんの所は見出しの一々に自己主張をしない装飾が施されていてスタイリッシュに纏まっている。そうした三者三様のありさまと比べてみると、ページを作りながらに私の胸に浮かんでは消えまた浮かぶ物足りなさの正体が見えて来る。それは、装飾の欠缺であると見た。
 まず一貫したテーマがない。中野区旧町名のページこそレイアウトを統一しているが、全体はもうページ毎にまるでデザインが違う。最も情報量の多いトップページは深刻で、その時その時に足した要素が各個にまるで調和を欠いていて、ゴチャゴチャ。景観はゴチャゴチャしてる方が好きだけど、このサイトにおけるゴチャゴチャはそう言うゴチャゴチャではない、単に受け手に見辛さを齎すだけのゴチャゴチャだ。
 こうして思えたことを吐き出して、見えてきたことを取りまとめると、胸のつかえを取り除く方法が徐々に露わになってくる。とりあえず、そういう本でも買う…お金は無いから、どっかで借りてこようかな?
2025/5/3


ねおたうん表記問題
 ねおたうんと言うのはラテン文字ではどう表記すればいいのだろうか?語源から考えれば"Neotown"が妥当だろうが、わざわざ平仮名にしていることを考えると、"Neotaun"と表記し得るではないか。個人的には"Neotown"の方が字面が好ましいように思う。
 この問題には、いま初めて気が付いた。ひどく混乱している。いまこの記事の中で結論を出すのは難しいだろう。Tも大文字でいいかも知れない。間にハイフンを挟もうか?ねおたうんと言う名称がダサいことなんて軽く吹っ飛ぶような問題だ、これは。しかしながら、「ねおたうん」と言うのはかな文字での表記であり、しかもこのサイトは、ラテン文字を使用するサイトとリンクしている。これは困った。英文やトルコ語文の中に急にかな文字で「ねおたうん」と出てきたら変だろう。しかしNeotownでいいものか、形容しがたい突っかかりが心にある。今日はもう寝たい。寝るにはまだ早い。不眠が悪化しそうだ。ねおたうんはねおたうんであるが、ラテン文字で何と言うか。困った困った。大変だ。もう言葉も出てこない。なぜこのサイトはねおたうんと言うのだろうか。
2025/5/2


2025年4月春です。涼しい日が多かった印象です。体調が優れず長いこと寝込んでいました。計4記事。
昭和ブームを思う
 少し前から、「昭和レトロ」なんて言葉が人口に膾炙するようになってきて、その有様を、メディアを通じて程度眺めていると、どうも「もやる」んですよね。それは何故かと言うと、まあ結局は私の性格だとは思います。
 どうも私は時流には疎いもので、具体的に昭和期のどういう側面がそういう風に着目されているのか詳しくは知りませんが、そうもファッションだとか場所の雰囲気とか、レコードやカセットと言った古い記憶媒体とかであるように見えます。
 「昭和」と言うのは長い長い時代で、それこそ東京市拡張から大東亜戦争、オリンピックを経て10.19まで、全て昭和のうちなのです。だからまず、ひとくちに「昭和」と区切ってしまうことに違和感を感じる。「昭和中期レトロ」とか、「昭和後期レトロ」とか言う風に言い分けるべきだと思うんだな。
 で、更に、フォーカスが当てられるのも、現代でも正視に耐えうる綺麗な、あるいは比較的まともな部分ばかりなのも気に入らない。レトロな雰囲気の空間とかを楽しんだり、古い物品を鑑賞したりするばかりでね。昭和と言う時代を私は知らない訳ですけど、あったと思うんですよ。体罰とか、新左翼とか。私は随分おかしな人間で、昭和ごっこをするなら、そこに暴力や翼賛が含まれていないと、なんか歪で、実に都合の良い、歴史修正的な気がしてならないんだな。
 私の見方の方が寄ってるかも知れないし、誰も歴史の全てを知り得ないとも思う。良い部分も悪い部分もあるよね?ってアプローチで事物を見ているからか、どうもこういうノリには肯定的になれない。どこまでも、素直じゃないんだろうね。
2025/4/29


マウス発見
 歓喜の声を上げた。どこまでもとどくよう、腹の底から声を上げた。マウスが発見された、茂みの中から発見された。一度手を付けた場所だった。私の目は余りにも節穴であることが確からしく思われた。
 茂みは、定置場所のすぐ隣だった。結局の所、マウス紛失・マウス発見と言う一連の出来事は、私が自らの無能を他責に転嫁することでかろうじて精神を維持していることを証明したに過ぎなかった。日曜日昼下がりを幾許かくだらない激情に空費したのであった。
2025/4/27


マウス紛失
 この世は究極的にクソだ。あるいは、それは自らの失策を他責に仕立て上げたい私の醜さなのかもしれない。ワイヤレスマウスとは、無くなるものである。それを知るからこそ、定置場所を設定し、使用後は必ず返すべき場所にマウスを返すように生きていたのだが。
 この代のマウスは買ってどのくらいだろう?半年くらいだろうか?先代は紛失ではなく故障で失ったので、あわせると大体1年くらいは失くさで生きていたのだが。そうした日々と言うのは、極めてしょうもない、些末な混乱の帰結として終焉を迎えるのである。そしてそうした日は、何故か資金繰りが苦しい日に来るのである。この世の全ては私を苛むためにある、と言葉の上では誇大妄想を拡げつつ、実際は自らの無能さから目を背けたい一心であって、云々。
2025/4/27


トニ・ブランコ死す
 トニ・ブランコ死す!中日→横浜で一時代を築いたスラッガーだった。もう随分前の選手だが、まだ43歳と言うので驚いた。
 ナイトクラブの天井が落ちてきて、下敷きになったらしい。
 所かわって甲子園はヤクルト石川ー中村のバッテリー。この18.44mの間だけが、往年とまるで変わらない二人。テレビ中継を観ながら、遠い日を思う。古き日の敏腕スラッガー、トニ・ブランコを偲ぶ。
2025/4/9


2025年3月3月は春を満喫していたので計2記事。筆を執る時間がなかった(言い訳)
トップページを更新
 ついにトップページのリニューアルを敢行した。かなり良くなった、随分な出来だと思う反面、スマホで見ると右スカになる点が問題。リンク集の幅がページの幅を超えてしまっているようだ。更新初日にして早くも並列構成の限界を垣間見ている。リンク集のバナーにコメントを添える方式を改めるつもりはないので、幅狭の画面で見た場合にはテキストが画像に回り込むような解決策を考えてはいるが、実行する手立てを思い浮かべられずにいる。今日はさすがにここまでだろう。
 新しいページを作るにあたって古いメモが随分と役立った。昔は随分と考えが回ったものだと感心する。あんな鳥かごの鳥みたいな身で…いや、寧ろ、だからこそ一つのことに思考力の全てをぶつけられたのかもしれない。今は自由であると痛感する反面、自由に伴う責任の大きさに当惑している。当座の生活をはじめ、様々なことに気を取られて心身が疲弊している。もはや生活と呼べるかすら怪しい日々。生きていると言うより、ただ命が続いている状態。
2025/3/16


ぼやき
 ついに三月を迎えてしまった。もう年度末である。虚無のまま三月を迎えてしまった。
 全てが虚無である。今日この日、この時を迎えるまでの過去は、全て虚無なのである。ことしもまた、虚のままに年度を終えてしまうのか。
 もはや絶望などない。固より絶望の中にあるのだから、今更新規の絶望と言うのは存在しないのである。希望へ続く登山道の存在だけは知りつつも、私は登る能わである。あるいは、希望への道は、私には開かれていないか、あるいは私はそこへの入場券を持っていない。
 ともかく、年度末まで一カ月を残しながら、今年もまた虚無を覆せないまま年を終えることが濃厚なのである。
 さて、それはともかく、ページが味気ないような気がした。他の(ネオシティーズの)皆様のような洒落っ気のある画面構成にしたい。それは他から刺激を受けることで齎される向上心のような感情でもありつつ、もう一つ。私は0からこのサイトを作り上げたので、サイトや各ページの構成は当然熟知しているが、他の人から見ると何とも間延びしていて見辛いのではないか、とも思った。
 このページで何がしたいのかは分からないし、そもそも何かを目的として明確に据えること自体が野暮であるように思う。別にやりたいようにやればいいまでなんだけど、一方では他所から刺激を受けて盛り上がる心もある。毎日が虚無であるので、ゆっくり考え、ゆっくり進んでいけばよい。少なくともこれ以上退くことはない程度には、現実は閉塞感に包まれている。

上記の文章を読んだ上で、以下の問に答えなさい。
 鍵括弧内の文章は本文中に入れそびれてしまった一文である。この文章を挿入するのに最も適切な箇所を本文中から探し、直前の10文字を書き抜きなさい。なお、句読点や記号は一文字として数えるものとする。
「もう少しスタイリッシュな感じにしたい。」
2025/3/1


2025年2月精力的に散歩していました。成果?あるわけないだろ。計2記事。
陥穽
  このサイトを始めた理由の一つに、自己との対話を図ろうと言うのがあったのだけれど、それ以上に人に見せる・見られると言う所を意識し過ぎて全体がぎこちなくなっている感じがする。義務でやっているのではないし、良い文章を書かなければならない圧力も当然ないのだから、気負わずに、もっと肩の力を抜いてやるべきだ。
 設計図のないままに形式ばっているようなぎこちなさがある。この段階でまとまりを意識するのは、ぎこちなさを産むのみである。そんな気がした。
2025/2/19


出かけた方が早い
 いま、記事を構想しています。ある事柄についてまとめようとしています。手許には撮り溜めた大量の写真があります。その中から資料として使えそうなものをピックアップしようとしている訳ですね。キャプションなんてありません。時期別に区切られたファイルの中から、特定の事柄に関する写真を探している。キャプションがないどころか。何なら記憶もない。
 一番厄介なのは、その記憶があったりなかったりすることです。つまり、「憶えがある」ものを、「写真に撮ったか分からない」のです。目に入ったものは一通り撮ったとは思いますが、たまに記憶はあるが写真がない、なんてことがある。旧町名のページに掲載している神田区亀住町がそうです。「神田区亀住町を見た」と言う記憶だけがあって、同じ日にした気がすることを頼りに時期を推定して写真を探したのですが、これが見つからない。仕方がないのでもう一度探しに行きました。
 まとめようとしている事柄について、「見つけた記憶」はある。だけど、撮った確証がない。最初からないものを探しているんならさっさと寝るべきです。
 なんてったって今日は祝日ですから。連日の冬晴れ、天気予報は見ていませんが今日も晴れるでしょ。ならデータを探すより、リアルシティーを探した方が早いのでは?
2025/2/11


2025年1月同月、このサイトは産声を上げました。このページは「ねおたうん」と言う名稱になる前からある気がします。計2記事。
英語
  困ったことに英語が分からない。別にリアルシティーズで生きてるうちは英語が分からなくてもラテン文字が分かればなんとかなるけど、ここではそうはいかない。管理人(一人称)はジオシティーズから流れ流れて、と言う文脈があってネオシティーズに居るわけだけど、ネオシティーズ自体は英語のサイトであって、意外と日本語話者(あるいは日本語でサイトを作っている人)が居ない。これ、個人的にかなり意外で、ネオシティーズ自体がアメリカ版ジオシティーズの受け皿的存在として誕生したのだから、日本版ジオシティーズの人々もこっちに来ると思ったんだけど。みんなどこいったのか知らないけど、日本版ジオシティーズがあれだけ栄えてた割には、ここにはあんまり日本語でやる人が居ないんだね。まあ、「JAPANESE」タグを軽く見た上での所感だから、ガッツリ主観だけどね。
 それで、前回の雑記に書いたように、実はジオシティーズ自体から憧れていた「街」システムに接しているのに、大半の街が理解できない言語で書かれているのは何だかさみしい。そう考えると英語、ちょっとは出来た方がいいよねえ。日本語はパッと見て頭に入って来るし、中国語も極めて大雑把になら見てわかるんだけど、英語はそれができないんだよね。英語自体も殆どできないし、辛うじて理解できる文章だったとしても、ぱっと見れないんだよね。だから、(英語の文章の)文意を掴むの苦手なのよね。
2025/1/19


雑記帳を作る
 暇だったので色々なサイトを覗いた。大半が英語で記述されているので内容はよく分からないが、BlogとかDiaryとか称して記事の堆積するページを設けている例がちらほら見られたので私も雑記帳を作ることにした。大記事にしかねる浅い内容はここに記して行こう。
 しかしこの、他所の街を覗く感じが良い。旧ジオシティーズを想起させる。管理人はジオシティーズ出身ではあるが、さすがに旧ジオシティーズは経験していないので、(ジオシティーズがあった頃から)憧れがあった。
 旧ジオシティーズでは「コミュニティ」と言う町があって、その中で個々のサイトに地番が与えられていると言う、まさにシティーズそのものだった。それに対してネオシティーズはどうだろう。地番こそなけれ、タグごとにページが並ぶさまはまさに街並みそのものではないか。この景色はWayback Machineでしか見たことが無い往年のジオシティーズに極めて近似している。
 旧ジオ当時と現在とではインターネットの在り方が大きく異なる。それを踏まえた上で、敢えて現在的なSNSなどとは距離を置き、旧態のインターネット運用を図らんと欲する。
 このページはまさに、「日記」に相当する。そのうちゲストブックのようなものも設置したい。
2025/1/15

もどる

©このホームページの管理人