雑記


このページは随時更新
うれしい言葉
 相互リンクが増えました。それは良いとして、照れってもんが、あるもんだなあ。結構ウキウキするなんて言われたら、こっちもウキウキしちゃう。
 しかしながら、彼はこう、どうしてこんなに素直で屈折のない言葉を紡げるのでしょう。羨ましさが故か読んでいてなんとなく身悶えしてしまいます。ウキウキの感覚と言うのは、悶えの感覚に似ている気がします。
 まあしかし、「見ること自体が楽しい」なんて言われると、もう嬉しくて転げまわっちゃいますよね!
 私は割と喋る方ではあるので、いつかちょきさんとも喋ってみたいですね。そのうちオファーを出そう。日本の七月は嫌に暑いから、心して来て下さいね(直接言え)。
2025/5/11


振替休日
 連休最終日、振替休日。前に言ったような言わなかったような、振替休日は日本の祝日の中で一番好きな祝日。しかも法的には祝日ではなく「休日」。(祝日法第3条2項)その上さらに、今日は「振替の振替」で火曜の振替休日。今日は扱いはどうなっているのだろう?祝日に国旗を掲げる人は今日も掲げるのだろうか?後で交番やバスを確認しに行こう。今日の関東は雨模様。きっと外では草木が濡れて輝いているはずだ。外に出よう。うん、外に。出よう。今から。祝日の様で祝日でない、何を祝うでもないながらも特別な日、愛すべき振替休日!
2025/5/6


装飾
  このサイトを作り始めてまもなく4箇月、年間の4分の1程度になる訳で。久々にサイトを作るもんだから、この4箇月で何回も大規模改修をしたりして、色々試行錯誤しているのだけれど、見辛さは幾許か改善された(と思いたい)が、何度作り直しても何か足りない。それは何だろうと言うことに気が付いた。装飾が足りない。装飾らしい装飾はところどころHRタグで区切りがしてあるのみで、後は背景色と文字色の緩急、フォントの差異、ウェイトの相違のみで、ただひたすらにコンテンツが羅列されているのみである。
 例えば、私の相互フォローの人々の所を覗けば、おすしさんの所はすっきり纏めた上でお寿司が流れているし、細川さんの所はページのレイアウトや色遣いが全体で統一されていて、かつ所々にイラストが入っているし、ちょきさんの所は見出しの一々に自己主張をしない装飾が施されていてスタイリッシュに纏まっている。そうした三者三様のありさまと比べてみると、ページを作りながらに私の胸に浮かんでは消えまた浮かぶ物足りなさの正体が見えて来る。それは、装飾の欠缺であると見た。
 まず一貫したテーマがない。中野区旧町名のページこそレイアウトを統一しているが、全体はもうページ毎にまるでデザインが違う。最も情報量の多いトップページは深刻で、その時その時に足した要素が各個にまるで調和を欠いていて、ゴチャゴチャ。景観はゴチャゴチャしてる方が好きだけど、このサイトにおけるゴチャゴチャはそう言うゴチャゴチャではない、単に受け手に見辛さを齎すだけのゴチャゴチャだ。
 こうして思えたことを吐き出して、見えてきたことを取りまとめると、胸のつかえを取り除く方法が徐々に露わになってくる。とりあえず、そういう本でも買う…お金は無いから、どっかで借りてこようかな?
2025/5/3


ねおたうん表記問題
 ねおたうんと言うのはラテン文字ではどう表記すればいいのだろうか?語源から考えれば"Neotown"が妥当だろうが、わざわざ平仮名にしていることを考えると、"Neotaun"と表記し得るではないか。個人的には"Neotown"の方が字面が好ましいように思う。
 この問題には、いま初めて気が付いた。ひどく混乱している。いまこの記事の中で結論を出すのは難しいだろう。Tも大文字でいいかも知れない。間にハイフンを挟もうか?ねおたうんと言う名称がダサいことなんて軽く吹っ飛ぶような問題だ、これは。しかしながら、「ねおたうん」と言うのはかな文字での表記であり、しかもこのサイトは、ラテン文字を使用するサイトとリンクしている。これは困った。英文やトルコ語文の中に急にかな文字で「ねおたうん」と出てきたら変だろう。しかしNeotownでいいものか、形容しがたい突っかかりが心にある。今日はもう寝たい。寝るにはまだ早い。不眠が悪化しそうだ。ねおたうんはねおたうんであるが、ラテン文字で何と言うか。困った困った。大変だ。もう言葉も出てこない。なぜこのサイトはねおたうんと言うのだろうか。
2025/5/2


昭和ブームを思う
 少し前から、「昭和レトロ」なんて言葉が人口に膾炙するようになってきて、その有様を、メディアを通じて程度眺めていると、どうも「もやる」んですよね。それは何故かと言うと、まあ結局は私の性格だとは思います。
 どうも私は時流には疎いもので、具体的に昭和期のどういう側面がそういう風に着目されているのか詳しくは知りませんが、そうもファッションだとか場所の雰囲気とか、レコードやカセットと言った古い記憶媒体とかであるように見えます。
 「昭和」と言うのは長い長い時代で、それこそ東京市拡張から大東亜戦争、オリンピックを経て10.19まで、全て昭和のうちなのです。だからまず、ひとくちに「昭和」と区切ってしまうことに違和感を感じる。「昭和中期レトロ」とか、「昭和後期レトロ」とか言う風に言い分けるべきだと思うんだな。
 で、更に、フォーカスが当てられるのも、現代でも正視に耐えうる綺麗な、あるいは比較的まともな部分ばかりなのも気に入らない。レトロな雰囲気の空間とかを楽しんだり、古い物品を鑑賞したりするばかりでね。昭和と言う時代を私は知らない訳ですけど、あったと思うんですよ。体罰とか、新左翼とか。私は随分おかしな人間で、昭和ごっこをするなら、そこに暴力や翼賛が含まれていないと、なんか歪で、実に都合の良い、歴史修正的な気がしてならないんだな。
 私の見方の方が寄ってるかも知れないし、誰も歴史の全てを知り得ないとも思う。良い部分も悪い部分もあるよね?ってアプローチで事物を見ているからか、どうもこういうノリには肯定的になれない。どこまでも、素直じゃないんだろうね。
2025/4/29


マウス発見
 歓喜の声を上げた。どこまでもとどくよう、腹の底から声を上げた。マウスが発見された、茂みの中から発見された。一度手を付けた場所だった。私の目は余りにも節穴であることが確からしく思われた。
 茂みは、定置場所のすぐ隣だった。結局の所、マウス紛失・マウス発見と言う一連の出来事は、私が自らの無能を他責に転嫁することでかろうじて精神を維持していることを証明したに過ぎなかった。日曜日昼下がりを幾許かくだらない激情に空費したのであった。
2025/4/27


マウス紛失
 この世は究極的にクソだ。あるいは、それは自らの失策を他責に仕立て上げたい私の醜さなのかもしれない。ワイヤレスマウスとは、無くなるものである。それを知るからこそ、定置場所を設定し、使用後は必ず返すべき場所にマウスを返すように生きていたのだが。
 この代のマウスは買ってどのくらいだろう?半年くらいだろうか?先代は紛失ではなく故障で失ったので、あわせると大体1年くらいは失くさで生きていたのだが。そうした日々と言うのは、極めてしょうもない、些末な混乱の帰結として終焉を迎えるのである。そしてそうした日は、何故か資金繰りが苦しい日に来るのである。この世の全ては私を苛むためにある、と言葉の上では誇大妄想を拡げつつ、実際は自らの無能さから目を背けたい一心であって、云々。
2025/4/27


トニ・ブランコ死す
 トニ・ブランコ死す!中日→横浜で一時代を築いたスラッガーだった。もう随分前の選手だが、まだ43歳と言うので驚いた。
 ナイトクラブの天井が落ちてきて、下敷きになったらしい。
 所かわって甲子園はヤクルト石川ー中村のバッテリー。この18.44mの間だけが、往年とまるで変わらない二人。テレビ中継を観ながら、遠い日を思う。古き日の敏腕スラッガー、トニ・ブランコを偲ぶ。
2025/4/9


トップページを更新
 ついにトップページのリニューアルを敢行した。かなり良くなった、随分な出来だと思う反面、スマホで見ると右スカになる点が問題。リンク集の幅がページの幅を超えてしまっているようだ。更新初日にして早くも並列構成の限界を垣間見ている。リンク集のバナーにコメントを添える方式を改めるつもりはないので、幅狭の画面で見た場合にはテキストが画像に回り込むような解決策を考えてはいるが、実行する手立てを思い浮かべられずにいる。今日はさすがにここまでだろう。
 新しいページを作るにあたって古いメモが随分と役立った。昔は随分と考えが回ったものだと感心する。あんな鳥かごの鳥みたいな身で…いや、寧ろ、だからこそ一つのことに思考力の全てをぶつけられたのかもしれない。今は自由であると痛感する反面、自由に伴う責任の大きさに当惑している。当座の生活をはじめ、様々なことに気を取られて心身が疲弊している。もはや生活と呼べるかすら怪しい日々。生きていると言うより、ただ命が続いている状態。
2025/3/16


ぼやき
 ついに三月を迎えてしまった。もう年度末である。虚無のまま三月を迎えてしまった。
 全てが虚無である。今日この日、この時を迎えるまでの過去は、全て虚無なのである。ことしもまた、虚のままに年度を終えてしまうのか。
 もはや絶望などない。固より絶望の中にあるのだから、今更新規の絶望と言うのは存在しないのである。希望へ続く登山道の存在だけは知りつつも、私は登る能わである。あるいは、希望への道は、私には開かれていないか、あるいは私はそこへの入場券を持っていない。
 ともかく、年度末まで一カ月を残しながら、今年もまた虚無を覆せないまま年を終えることが濃厚なのである。
 さて、それはともかく、ページが味気ないような気がした。他の(ネオシティーズの)皆様のような洒落っ気のある画面構成にしたい。それは他から刺激を受けることで齎される向上心のような感情でもありつつ、もう一つ。私は0からこのサイトを作り上げたので、サイトや各ページの構成は当然熟知しているが、他の人から見ると何とも間延びしていて見辛いのではないか、とも思った。
 このページで何がしたいのかは分からないし、そもそも何かを目的として明確に据えること自体が野暮であるように思う。別にやりたいようにやればいいまでなんだけど、一方では他所から刺激を受けて盛り上がる心もある。毎日が虚無であるので、ゆっくり考え、ゆっくり進んでいけばよい。少なくともこれ以上退くことはない程度には、現実は閉塞感に包まれている。

上記の文章を読んだ上で、以下の問に答えなさい。
 鍵括弧内の文章は本文中に入れそびれてしまった一文である。この文章を挿入するのに最も適切な箇所を本文中から探し、直前の10文字を書き抜きなさい。なお、句読点や記号は一文字として数えるものとする。
「もう少しスタイリッシュな感じにしたい。」
2025/3/1


陥穽
  このサイトを始めた理由の一つに、自己との対話を図ろうと言うのがあったのだけれど、それ以上に人に見せる・見られると言う所を意識し過ぎて全体がぎこちなくなっている感じがする。義務でやっているのではないし、良い文章を書かなければならない圧力も当然ないのだから、気負わずに、もっと肩の力を抜いてやるべきだ。
 設計図のないままに形式ばっているようなぎこちなさがある。この段階でまとまりを意識するのは、ぎこちなさを産むのみである。そんな気がした。
2025/2/19


出かけた方が早い
 いま、記事を構想しています。ある事柄についてまとめようとしています。手許には撮り溜めた大量の写真があります。その中から資料として使えそうなものをピックアップしようとしている訳ですね。キャプションなんてありません。時期別に区切られたファイルの中から、特定の事柄に関する写真を探している。キャプションがないどころか。何なら記憶もない。
 一番厄介なのは、その記憶があったりなかったりすることです。つまり、「憶えがある」ものを、「写真に撮ったか分からない」のです。目に入ったものは一通り撮ったとは思いますが、たまに記憶はあるが写真がない、なんてことがある。旧町名のページに掲載している神田区亀住町がそうです。「神田区亀住町を見た」と言う記憶だけがあって、同じ日にした気がすることを頼りに時期を推定して写真を探したのですが、これが見つからない。仕方がないのでもう一度探しに行きました。
 まとめようとしている事柄について、「見つけた記憶」はある。だけど、撮った確証がない。最初からないものを探しているんならさっさと寝るべきです。
 なんてったって今日は祝日ですから。連日の冬晴れ、天気予報は見ていませんが今日も晴れるでしょ。ならデータを探すより、リアルシティーを探した方が早いのでは?
2025/2/11


英語
  困ったことに英語が分からない。別にリアルシティーズで生きてるうちは英語が分からなくてもラテン文字が分かればなんとかなるけど、ここではそうはいかない。管理人(一人称)はジオシティーズから流れ流れて、と言う文脈があってネオシティーズに居るわけだけど、ネオシティーズ自体は英語のサイトであって、意外と日本語話者(あるいは日本語でサイトを作っている人)が居ない。これ、個人的にかなり意外で、ネオシティーズ自体がアメリカ版ジオシティーズの受け皿的存在として誕生したのだから、日本版ジオシティーズの人々もこっちに来ると思ったんだけど。みんなどこいったのか知らないけど、日本版ジオシティーズがあれだけ栄えてた割には、ここにはあんまり日本語でやる人が居ないんだね。まあ、「JAPANESE」タグを軽く見た上での所感だから、ガッツリ主観だけどね。
 それで、前回の雑記に書いたように、実はジオシティーズ自体から憧れていた「街」システムに接しているのに、大半の街が理解できない言語で書かれているのは何だかさみしい。そう考えると英語、ちょっとは出来た方がいいよねえ。日本語はパッと見て頭に入って来るし、中国語も極めて大雑把になら見てわかるんだけど、英語はそれができないんだよね。英語自体も殆どできないし、辛うじて理解できる文章だったとしても、ぱっと見れないんだよね。だから、(英語の文章の)文意を掴むの苦手なのよね。
2025/1/19


雑記帳を作る
 暇だったので色々なサイトを覗いた。大半が英語で記述されているので内容はよく分からないが、BlogとかDiaryとか称して記事の堆積するページを設けている例がちらほら見られたので私も雑記帳を作ることにした。大記事にしかねる浅い内容はここに記して行こう。
 しかしこの、他所の街を覗く感じが良い。旧ジオシティーズを想起させる。管理人はジオシティーズ出身ではあるが、さすがに旧ジオシティーズは経験していないので、(ジオシティーズがあった頃から)憧れがあった。
 旧ジオシティーズでは「コミュニティ」と言う町があって、その中で個々のサイトに地番が与えられていると言う、まさにシティーズそのものだった。それに対してネオシティーズはどうだろう。地番こそなけれ、タグごとにページが並ぶさまはまさに街並みそのものではないか。この景色はWayback Machineでしか見たことが無い往年のジオシティーズに極めて近似している。
 旧ジオ当時と現在とではインターネットの在り方が大きく異なる。それを踏まえた上で、敢えて現在的なSNSなどとは距離を置き、旧態のインターネット運用を図らんと欲する。
 このページはまさに、「日記」に相当する。そのうちゲストブックのようなものも設置したい。
2025/1/15

もどる

©このホームページの管理人