地名雑学的には有名であろう大阪市中央区久太郎町4丁目「渡辺」。住居表示における「番」の部分が渡辺なんです。 まずは、この地図をご覧ください。東区の「人文社」のロゴの右側辺りに、「渡辺町」と言う小さな町があるのが分かりますね。この渡辺町は昭和5年の町名整理で成立し、それまでは北渡辺町・南渡辺町と言う町があったようです。(これもまた小さな町です。) この町には坐摩神社と言う有名な神社があり、ここが「渡辺」と言う苗字の発祥の地だと言うのです。故に、平成元年住居表示の際に久太郎町に統合される際に、なんとか渡辺と言う地名を残そうとなり、結果としてこの形で決着したらしいです。
↑北久宝寺町との境目。 通常数値が入る「番」の部分が「渡辺」なので、住所の表記としては、「久太郎町4丁目渡辺n号」または「久太郎町4-渡辺-n」と言う形になります。 これは全くの憶測ですが、昭和5年の町名整理の際も同様のいきさつがあり、結果として、横堀と北久太郎町に挟まれる形で渡辺町が残ることになったのではないでしょうか?
さて、管理人はその「渡辺町」をさがすべく渡辺町に向かったのですが、見た感じではありませんでした。極小範囲と言えど、平成元年消滅ならある気がするのですが。悔しいのでそのうちまた行きます。
参考文献 大阪市ホームページ「中央区(旧東区)の町名(わ行)」、令和7年1月26日閲覧
坐摩神社ホームページ「神社のご由緒」、令和7年1月26日閲覧
大阪市東区史刊行委員会編「続東区史 別巻」、大阪市東区史刊行委員会、1979
「全地番入大阪市区別地図地名総覧」、大阪人文社、1965
訪問時期:令和4年 記事作成日:令和7年1月26日
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