川崎市中原区下沼部。1700番代から始まる大きな地番が今も使われている。地番の小さい部分は対岸にあったが失われた。この場所はかつて東京の飛び地であった。そもそもは東京側の沼部と地続きだった。やがて川の流れが大きく変わり、大河の向こうにこの土地が残された。この場所には「玉川向」と言う字名がついている。中原区側の下沼部に玉川向以外の字名はない。なぜなら、下沼部の玉川向以外の部分はすべて対岸にあるから。対岸の村は瀟洒な宅地への発展と引き換えに沼部の地名を失った。今では沼部駅に名を留める程度である。飛び地だったこの場所だけが、今でも「沼部」と言う地名を住所に残している。 |
戻る |