逍遥 西高井戸・松庵しょうあん・吉祥寺本田

 あにけん氏と小さな旅に出た。残暑の厳しい九月半ばのこと。街頭の温度計は三十三度とかそんなことを言っていた。
 遅筆の私が出来事の翌日に筆を執るのは、向こうが記事をあげたからこっちもあげた方が良い、と言う思い込みが故である。
 人と歩くのは実に二箇月ばかり前、ちょき氏を迎えて、彼の貴重な旅程の中の半日ばかりを戴いて彷徨して以来である。あの時は何も見つけることが出来ず、痛恨の極みであった。あの日のことを思い出すと身震いするほど腹が立つ。それは自分自身の情けなさが故なのか、旧町名の痕跡が自治会名しかなかったあの町への毒づきのなのか、将又それ以外の何かか。未熟な精神の私は今もってその感情の正体を掴めずにいる。

 旅の目的は旧地名「杉並区西高井戸」の捜索であった。西荻窪駅の近辺で「高井戸」と言うのは随分以外に思われる方も居るだろうか。尤も、西荻窪はともかく、大宮前や松庵は元々豊多摩郡高井戸町であるから、そうでもないかもしれない。その昔、上高井戸・下高井戸の民が移り住んで開いたと言う土地であり、元は「高井戸新田」とも呼ばれていたらしい。その後は中高井戸村となり、町村制で高井戸村となる。杉並区編入に際して「西高井戸」となり、住居表示で松庵に吸収される形で消滅した。「高井戸西」と名前は似ているが全く異なる土地である。
 期待はしていなかった。発見報告をあげているのが102so大元帥だけで、他の連中からは、どうも上がっていない様子なのだ。近隣の吉祥寺字本田北・本田南は報告が出ているから、誰も歩いていない筈がない。不可解である。これはもしかすると、現存する物件がないのかも知れない。そういう推論が出発前からあったから、期待はしていなかった。ただ、駄弁りながら歩いて終りだろうと思っていた。

 整然とした街路に、新旧が入り混じる街をひた歩く、旅人二人。結論から言うと、西高井戸はあった。それも何か所もあった。「誰も歩いていないのか」——地番晒し界隈の連中はこの町をまだ犯していないらしい。だとしたら、それは意外と言うほかない。手ぶらで帰る最悪の末路を回避した段階で、心の荷は降りて、肩にかかる背嚢の重さだけが残った。松庵は振るわず、吉祥寺は小字表記の物件を見つけること能わなかった。道中、工事現場を見る度に小さな焦燥を感じた。この町どもは改めて余すことなく捜索する必要があると確信した。

あにけんさんへ 地図は引用元を記載した方が良いかと思います。それはそうとSPはRB211の方が少数派だと思うので私の勝ちです(一方的な勝利宣言)。

参考文献
杉並区教育委員会 編『文化財シリーズ19 杉並の地名』,杉並区教育委員会,1985.3

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