私について 抄
私はどうも右ならえな所がある。ちょきさんの自己紹介ページを読んだ。ちょきさんに対する疑問が氷解するような、まさにちょきさんの自己が紹介されたと言う思いと、ちょきさんについての謎が深まるような思いとが同時に感じられた。加えて、私は自己紹介らしい自己紹介をしていないことに気が付いた。
誰も私のことに興味はないだろうが、そこではなく、少なからぬコンテンツを掲載するプラットフォームの主として、私は少なからず自己を紹介する義務があるように思った。
しかし、私は私の自己について、よく分からなかった。自己紹介を避け続けてきたことの理由がまさにそれだった。「私は何者なのか」と言うことは、私自身が最も知りたいことだ。私は誰なのだろう。私は何者なのだろう。
親に電話しようと思った。母は私が私になる前のこと、つまり胎内の時代をも憶えているだろうし、父は私の知らない私の過去の行為を記憶しているかも知れない。
パステルカラーの受話器に手をかける。ダイヤルを回そうとしたが、0、9、0、とだけ回して、手を止めてしまった。母と父のどちらにかけようか、抑々親に私について尋ねることが、本稿における私自身の私に対する疑問の解決になるのか、私が知りたいのは結局、「私」と言う人格についてで、今まで歩んできた人生についてではない。私という人格を究極的に知るものがあるとしたら、それは私自身のみでないかと思い、受話器を戻した。カランと軽い鐘の音がした。足の底が冷える。家では靴下を履かないからか。湿気を嫌っていつも空調を強くかけている。湿気と戯れるのは家の外だけで良い。だからか、今、外ごと冷たいのか、部屋が冷たいのか、よく分からない。少し外に出ようか。今日の夜空の様子をまだ知らない。
その考えも少し違う気がした。人生と人格とはゆるやかに結合して、自己を為しているのではないかと思った。だとしたら、私の人生をここで明かせばよいのだろうか?
論点が少しづつずれてゆくのを感じる。私は私自身を知らないし、把握している我が人格我が人生についても、どこから触れていいのか分からない。決して疾しいことがあるではない。しかし、私にとっては「黒い」人生や人格と言ったものを、他者に公開することが、今の私にはできなかった。