和田堀町の「和田」の部分のうちの東側の方南町じゃない方の部分です。言い換えれば、和田村の中心部を中心とする地名が、和田本町です。これまで取り上げた他の旧地名より消滅が3年早いのですが、たった3年早いだけで全く見当たらない。とりあえず大宮八幡に大量にあった奉納者住所付き灯篭の中から、写真の映りがよかったものを掲載します。灯篭の建立年は昭和41年(1966)。ネタバレですが、境内に20基くらいある灯篭のそれぞれに、和田本町や方南町、和泉町に松ノ木町…と大量の旧町名が地番付きで建立されています。画像の取扱いに気を揉みますね。きっと奉納した人は、名誉と思って住所を添えてるはずですから。でも住所の扱われ方は現代と当時とでは全く違うし… ちなみにですが、この灯篭の奉納日は「昭和四十一年七月吉日」。和田本町を消滅させた住居表示の施行日が同年7月1日なので、超ギリギリ滑り込みの表記といえます。 余談杉並区和田本町は全域が昭和41年7月1日に「和田」になりました。和田本町だった部分は100%和田になっている訳ですね。ちなみに逆はそうでなく、杉並区和田には和田本町全域の他、方南町の一部や高円寺の一部などを含んでいます。参考文献 杉並区教育委員会編, 文化財シリーズ19 杉並の地名, 1985.3 杉並区ホームページ, 住居表示旧新対照表, 令和7年9月24日閲覧 発見時期:令和7年 記事作成日:令和7年9月23日作成中 |