浅草の旧町名

おことわり:本ページはあくまで旧町名捜索に重点を置いたページであり、浅草の歴史について解説するページではありません。ここでは「浅草」の定義を、特記なきばあいは旧浅草区として指定します。

浅草の旧町名を探すと言うこと

 まず断言しときますけど、浅草(と言うよりこの近辺)の旧町名探しは並大抵の難易度ではないです。確かに、花川戸みたいに簡単に見つかる場合もありますが、基本的にそういうのはレアケースです。浅草と言う町の魅力は看板建築や日本家屋があちこちに残っているノスタルジックな街並みですが、この町には表札を出していないか、出していても木製の表札(管理人通称・木簡)である場合が極めて多く、後述する田原町や稲荷町ですら発見がありません。木簡を解読するにはよっぽど性能の良いカメラを使う必要がありますが、そもそも見通しの良いこの町で、ひとの家にそんなカメラを向けたら普通に不審者です。

狙い目は神社、現地主義を棄てよ

 そこで狙い目になってくるのが神社内構造物です。神社内構造物と言うのは私が便宜的に考えた言葉で、玉垣・灯篭・狛犬の台座・鳥居・記念碑(特に裏面)・手水鉢(特に側面や裏面)を指します。私の理論では、現地主義を棄て、神社内構造物に目を向けることで、表札では発見できないような年代の旧地名を発見することもできます。詳細は後日神社内旧地名のページを作りますから、そちらをご覧ください。さて、浅草と言う町は、多くの地域と繋がりがある町です。従って、本ページで紹介する江北村の胡録神社のような、浅草ではない地域でも浅草区内の地名を発見することができます。


浅草の旧町名とその流れ

 まず浅草区自体の簡単な歴史を説明します。浅草区の成立は1878年、郡区町村編制法によります。その後は15区の一つとして1947年、隣の下谷区と併合し「台東区」を成立させ、今日に至ります。
 次に浅草区内の地名の歴史です。浅草区成立後、最初に動きがあったのは1911年、浅草区内の「浅草」を冠する町名から冠称が外されました。つまり、それまで「浅草区浅草田原町」だったのが、「浅草区田原町」になったと言うことです。これは当時の東京市内15区全域で実施された町名変更です。その後、浅草区は全域において関東大震災の甚大なる被害を受け、以降町名の整理が行われました。一方で、戦災復興に伴う町名変更はなく、1947年の合併後は旧浅草区内の町名全て(つまり、もとから浅草を冠していなかった新吉原なども含めて)に「浅草」が冠されました。その後、1960年代に住居表示で地名が大きく変更され、現在に至ります。
つまり
1878年…浅草区が成立
1889年…境界部の地域を北豊島郡より編入
1911年…町名冠称「浅草」が除かれる
1930年代…震災復興に伴う大規模町名整理
1947年…下谷区と併合し台東区成立、全町名に「浅草」を冠する
1960年代…住居表示実施、大規模な町名変更
現在に至る




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